物理的領域の因果的閉包性


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【ツイート】 お気に入りツイート10選

2017-09-14 その他




声優さんに興味を持ったときにこれと同じ考えをした時期がありました。今まで楽しめなかった作品も楽しめる。
今期でいえば「はじめてのギャル」のようにちょっとお下品な作品に好きな声優さんがはじめての主人公を演じる。
もちろんユニット以外ではじめてという意味ですが、ツイッターで一生懸命宣伝したりリアルタイムで実況したりする。
そんな健気な声優さんを見てると不憫に思えてくるんですよね。応援したいというより見ていて悲しくなってくる...。
「クイーンズブレイド」みたいなバトルモノだったらお色気満点でも見れるのに、この作品は何か少し違う気がする。
たぶん中途半端なんでしょうね、楽しめる作品が増えても苦手なものは苦手。でも多くを許容したいという気持ちはある。





今まで憧れの存在だったコウと一緒の職場になって働いていくうちに気づけばライバルになっていた。
基本青葉視点で作品は進行するから、そういった現実に視聴者もなかなか気づかない。このへんが上手いところ。
なんとなく働いてる楽しい職場を描くだけじゃないんだ、ってところが衝撃でしたね。2話からのEDもすごく良かった。






こちらも同じくNEW GAME!!第2話のツイート。確か1期でも屋上のシーンはあったと思いますが、この視点はなかった。
シリアスな展開だったから余計にそう見えた部分もあると思います。いちじろーさんならではの視点でとても良かった。
思えば普段青葉たちが働いてる場所ってカラフルで、華やかで、いかにも女性の職場って雰囲気の場所が多かった。
演出的にもそういったギャップを見せたいという意図があったのかもしれませんね。とても勉強になるツイートでした。





確かに第2話の祐さんは良かったですね、このあとゲス顔が多くなってしまいますけど。ほっこりエピソードでしたね。
自分は女の子大好きなのでどうしても亜玖璃目線で見てしまう。髪色とかメイクとか服装とか苦労したんだろうなとか。
なので祐視点は当たり前のようで個人的にはなるほど、とこのツイートを見て思った。恋もリスポーンを狙い撃ち!!





サクラクエスト第18話のツイート。「地域で踏ん張っている人たちがおれば文化は続いていく」確かにその通りです。
現在第24話まで放送されましたが、地域で踏ん張るというのはこの第18話から新しくなったテーマだと思っています。
所詮はよそ者の集まり、でもそこに根を下ろして間野山のために何かをやる。それだけを描いているのになぜか尊い。





こちらもサクラクエストに関するツイート。教授のモデルと思われる梅棹忠夫さんを調べてもらうとわかりやすいですが、
「今」の積み重ねが歴史になる、それを亡くなるまで徹底してやり遂げた人なんですよね。尊敬できる生き様なんです。
「地域や世代の差に揉まれながら明日を紡いでいく」という響きがとても素敵ですね、作品を象徴するような一文です。





個人的に「月がきれい」はそんなにハマれなかったというか、純粋な心を忘れてしまった除草剤のような人間から見ると
足の踏み場のないお花畑を歩いているようで気が引けるんですよね。田園を駆け巡るほうが性に合ってる気がしてくる。
でもこれを読んだときにその景色がパッと浮かんだんですよね。作品を語るとはこういうことかと、そう感じました。





それぞれが自分の好きなこと、やりたいことをやる。すごく当たり前で単純なことなのに、この作品では特別に思えてくる。
それを象徴するようなツイートですね。話数全体を両手で優しく包み込むような文章、とても素敵なツイートだと思います。
どうやったらこんな文章が書けるのか脳神経外科の先生に聞きたい気分です。何を食べたら書けますか?って聞きたい。





自分の個人的で身勝手な観測範囲を基準にしてるだけなのに、いかにもすべてを知ってるかのような言い回しをする。
どんなに下調べをしていても、どんなに客観的な評価を集めたとしても、その人から発せられる意見は一個人でしかない。
そんなことも理解もできていないのに、まるで神の視点から作品を語ってるように主張する人がたくさんいる。滑稽です。
みらさんが言ってるように、単純に考えて比率が違うだけなのに、名作とかカルトとかそういうレッテルをすぐ付けたがる。
だから注目を集めてるだけの評論家は嫌いだし、自分が信頼してる身近な人たちを信じたほうがマシだと常に思っている。





はにわさんのツイートに通ずるものがあって、人気のあるものには理由があるから、知らずに遠ざけるのは少し違うと。
直感的な好き嫌いはあったとしても、例えばキャラデザが苦手で気が向かなかった「屍鬼」は、見てるうちに慣れたし。
実際に触れてみないとわからないというのはその通りだと思っています。苦手を克服できるチャンスになるかもしれない。
作品だけではなく、企画に参加するとか同人誌に寄稿するとか、ちょっと苦手なこともやってみないとわかりませんよね。





【ブログ】 お気に入り記事10選

2017-09-13 その他


『コードギアス 反逆のルルーシュ R2』 第21話 「ラグナレク の 接続」 感想 - メルクマール

まずは我らが師匠メルクマールさんのギアスR2記事。集合的無意識から経済の話になって最後はディストピア論。
かなりの情報量ですが、コンパクトでわかりやすく読みやすい文章で綴られている。今でも憧れている完成形です。


[アニメ]君に届け 第5話「決意」 - 所詮、すべては戯言なんだよ

良い記事はいくつもあるんですが、この頃が一番アブラがノッてたというか、原作読まずにここまで書けるのかと。
キャラの心理にダイブして想像をふくらませると大抵はただの妄想で終わる。そうならないところが上手いんですよね。


2009年アニソン - Daisukのよ~わからへん!

OP/EDだけで記事が書けるんだということを教えてもらったのがDaisukさんの記事。これはアニソンのまとめ記事。
今読んでも参考になることが多いので、こうやって残してもらえてるのはありがたいですね。更新再開してほしいです。


イヴの時間 オフィシャルファンブック - 在宅アニメ評論家

nobumaさんの記事でイヴの時間を知りました。これはオフィシャルファンブックのレビューですが、WEB版・劇場版
それぞれ記事があるので全部読んでほしいです。現在はアイカツのみの更新ですが、今でも現役なのはすごいです。


輪るピングドラム 第9話「氷の世界」 - アニメレビューCrossChannel.jp

今も現役といえばCrossChannelさんもそうですね、昔はスタッフの名前をまったく知らなかったので参考になりました。
大量にある記事の中からひとつを選ぶのは非常に困難ですが、個人的に好きなピンドラ9話の記事を取り上げました。


アニメ考察記事が減ってきているのではなく、目立っていないだけだと思う、とかそんな話 - 隠れてていいよ

2012年6月の記事。情報が古い部分もあります。でも埋もれているだけ、見つけられないだけで考察はいっぱいある。
それは5年後の今でも変わらないと思っています。ブログに限らずツイートを見ると前より多いと感じるときがありますね。


アニメの評価を客観視できるいい指標はないものか?いや、そもそもそんなもの必要か? - アニメヲススメ

これは誰もが一度は悩むこと。これに触れておけば、この情報を集めれば読み手によりわかりやすい評価の対象になる。
そういった基準があればいいという記事。逆にそれがないから様々な楽しみ方ができるとも言えますが、あれば楽ですよね。


話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選(話数ごと1000文字のコメント付き) - あにめマブタ

他にも良い記事はたくさんありますが、まとまっていて読みやすい(長いのは読むのが面倒とは言っていない)のがこれ。
「なぜ?」「どうして?」という部分が簡潔に綴られていて好きです。新聞のコラムを読んでるような文章も好きなところ。


石浜真史さんの映像と演出について - Parad_ism

石浜さんに関する記事はいくつかありますが、新しい作品も含まれた記事ってあまりないんですよね。わかりやすい記事。
旧ブログにあるあいうら記事も好き。shiroooさんなりのこだわりや譲れない感情がヒシヒシと伝わってくるところが好き。


『響け! ユーフォニアム』の2年生組の関係性が尊すぎて生きるのがつらい! - 新・怖いくらいに青い空

原作に関する記事ですが、アニメを見終えてから読むとより感慨深い。九州人さんの情熱あふれる文章も良いですね。
普通は情熱が先走ると記事として成立しないことが多い。でもこの記事はバランス感覚や整合性が秀逸で素晴らしい。





アニメ視聴や文章表現における成長の基準

2017-09-01 その他


アニメは非常に情報量が多い媒体です。OP・EDだけ見てもいろんなものが詰まってると感じます。
ツイッターも無作為にいろんな情報が流れてくるので、そういう部分ではアニメと似たところがあります。
他人のツイートや記事を読むと「ああいう風に文章が書けたらいいな」「自分に無いものがいっぱいある」
そう思うことばかりで、参考になることはいっぱいあっても、実際に咀嚼して身に付くことはほとんどない。

何をもって成長とするのか?これはすごく難しい問題です。未だによくわかりません。
たくさんアニメを見れば、回数見れば、たくさん人の意見を聞けば成長することにつながるのか?
確かに多くの作品を見るにつれて「こういう傾向にある」とか「こういう見方をしたほうが楽しめる」
というのはなんとなくわかるようになってきます。でもそれが成長につながってるかというとそうでもない。

思い返してみると、純粋にアニメが好きだという感情だけで作品と向き合ってるときのほうが楽しめてる。
あの人みたいになりたいと思って真似したり、自分なりに工夫して文章を考えてるときのほうが楽しめてる。
つまりは限られた時間の中でどれだけ情熱を込めて作品と向き合ったり、他人と向き合えるのか?
その違いなんだと思います。「成長した」という結果ではなく「成長したい」と思う意志の強さみたいなもの。
一瞬ではなくある程度の期間持続して思い続けることによって、ある種の達成感みたいなものが得られる。

ひとつの作品を深く掘り下げていくことも大事だし、なるだけ多くの作品を摂取しようと思うことも大事。
自分の場合は多くの作品にふれる中で何かのきっかけをなんとなく掴めたらいいな、と思っているだけです。
文章表現するときも同じで、自分なりの表現で誰かが何かのきっかけをなんとなく掴んでもらえればいい。
自分の中でも絶対に正しいと思えるような方法や手段は無いし、何が他人の心に届くかなんて知る由もない。
こんなにも自分は努力した。そう思った時点で成長は止まっているから、向上心は忘れないようにしたい。




【アニメノミカタ】 視点と論点

2017-07-18 その他


1989年8月15日に刊行された『こちら葛飾区亀有公園前派出所』第59巻に「おばけ煙突が消えた日」という話があります。
少年時代の両津勘吉と臨時担任としてやって来た若い女性教師・佐伯羊子、そのふれあいと別れが描かれています。
この話に出てくる「おばけ煙突」とは、見る方向によって煙突の数が1本から4本へと変化する「不思議な煙突」。



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テレビ画面は平面なのでどんなに立体的な動きをしていても一つの方向でしか物事を捉えることができません。
もちろんテレビの前で立つ位置を変えながら視聴しようというのではなくて、物事を平面的に考えないということです。
物理的にキャラクターが一人しかいないのに二人と仮定する。そうではなくて、物事の裏側や背景を想像するということ。
画面には映ってないけどあのキャラクターはこういう動きをしてるんではないか、こういう心情で行動してるんじゃないか。
そんなことを想像しながら動きや表情を追っていくと、もしかしたら?といった可能性や疑問が浮かんでくるようになる。


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プリンセス・プリンシパル 第1話 「case13 Wired Liar」の終盤。
西側に逃亡しようとしたエリックが、もう逃げられないと諦めてバッグと銃を捨てるシーン。
アンジェの「弾なら抜いてあるわ」という言葉を信用したから銃を捨てたのか?
エリックを殺すときに弾を込める動作をしなかったことからもわかる通り、アンジェは弾を抜いていなかった。
上の画像を見てもらうと、弾があるようにしっかり強調されて描かれています。

つまりどういうことかと言うと、
・ エリックは弾があると知りながら銃を捨てた。
・ アンジェを撃とうと思えば撃てたが、撃たなかった。

ではその理由を考えてみると、
・ もし逃げてもアンジェの仲間や内務省に殺されるとわかっていたから。
・ サインした用紙が生命保険のものと気付いて妹のためになると思ったから。
・ 両親が殺されたというアンジェの話を信じていたから撃てなかった。

詳しい理由は描かれていないのでわかりませんが、いろんな可能性が考えられます。
もしアンジェの言葉だけを信用していたら、弾が偶然残っていて殺された。そう思ったかもしれません。
また銃をよく見なければ、なぜ弾があってエリックが殺されたのか、なぜ死ぬとわかってサインしたのか。
そんな疑問さえ浮かばずに「良い話だった」と理解したフリをしてツイッターにつぶやいてたかもしれません。

見たままを素直に受け入れることも表現する側としては必要なことですが、それだけでは楽しくならない。
画面で起こったことをそのまま文章にするだけなら実況して楽しめばいい。せっかく読むなら価値がほしい。
あの人のツイートを見たから、あの人のブログを読んだから新しい発見があって楽しみ方が広がった。
そういう読み手でありたいし、書くときも何かプラスになるようなものでありたいと思っています。
説明が下手で申し訳ありませんが、また気付いたことがあれば更新したいと思いますのでよろしくお願いします。




文章を書いて残すということ

2017-07-12 その他


ブログの記事やツイートのようにある程度まとまった文章ってどういうものだろうと考えたとき
なんだかヘアスタイルみたいだなと。お風呂上がりの人もいればきちっとセットしてる人もいる。
ネットに公開するということは人目に触れるということなので、そこで自分がどう有りたいか、
またはどういう風に見られたいか、それを考慮した結果がヘアスタイルなので、似てるな、と。

文章が髪の毛だとすると、柔らかい人もいれば硬い人もいる、多い人もいれば少ない人もいる。
白髪みたいに白々しい人もいればなかなか脱色できない黒髪もいる、派手な金髪もいたりする。
ヘアスタイルは自己主張が表面化したもの。だから似合う人もいれば似合ってない人もいます。
つまりその人がどういう人間性でどういう顔立ちなのか、それによって合う合わないは決まる。
しかし似合ってるか似合ってないかは他人からの評価であり、自分がどう有りたいかの違いだけ。

不特定多数に見られるからなるだけカッコよく見せたい。いいや自然のままが一番素晴らしい。
整髪料をたくさん使って個性を出したい。整髪料なんてつけるの面倒だから坊主のほうがいい。
みんないろんな考えがあって髪を整え今の形がある。それを表に出すか出さないかも人それぞれ。
今の形が似合ってないと思うならどういうヘアスタイルが似合うか聞けばいいし、探せばいい。
顔がまったく違うのにキムタクになりたいと言われても困るので、分相応を知るのも大事ですよ。




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