物理的領域の因果的閉包性


ひとりぼっちの○○生活 第7話で描かれた変化

2019-05-18 2019


脚本:花田十輝 コンテ:いわもとやすお 演出:三宅寛治 作画監督:矢吹智美 総作画監督:小田武士



倉井佳子ちゃんの登場、公園で悩むぼっち、みんなでプール、カラオケ、そして八原かいちゃんとの再会。
いろいろ見せ場のあった話数ですが、各キャラに変化があった話だと感じたので、想像を挟みながら語ります。

まず目立っていたのが砂尾なこの気遣い。元気のないぼっちにキャンディを渡すなこ。好きな味を用意してた。
つまり登校する前から、家にいるときからぼっちに何かあったとき元気付けられるようあらかじめ準備してた。
水着もそう、本庄アルにバカにされないようキレイな水着で来たのかもしれませんが、格好だけで泳げない。
泳げないことなんてすぐバレるので、なんの為の水着かな?と考えると、楽しむぼっちを落胆させたくないから。
だから泳げないことをぼっちだけに伝えたり、泳ぎを教えてほしいとお願いをする。本当に嫌ならそうしない。

ぼっちをおんぶして帰るソトカ・ラキターは、なこに「そろそろ代わろうか?」と言われるが首を振って断る。
そして「弟子をしながら友達になるのはダメですか?」と言う。なぜ一度断った友達になりたいと思うのか?
かいちゃんとのやりとりを見て友達であることの大きさに気付いたんでしょうね、これもぼっちに対する気遣い。




アルは他にも友達がいるのにぼっちたちといる時間が増えた。ソトカとも仲良くしたりバランサー的な役割をする。
「いろんなとこ行ってたくさん遊んだら、人見知りも少しはマシになるわよ。」とぼっちを元気付ける発言をする。
距離を感じていたり、相手のことを理解していない状態で「人見知りも少しはマシになる」なんて言い方はしない。

なこもソトカもアルも、同情や哀れみでぼっちと友達をやっているわけじゃなく、みんなが好きだから一緒にいる。
学校以外でも、夏休みになってもぼっちたちのことを考える時間が増えて、一緒にいると楽しいと思える友人関係。
きっかけはかいちゃんの約束かもしれないけれど、素直な気持ちが伝わる人が集まると居心地の良い空間になる。
優しい世界を描きたいだけ、と言ってしまえば身も蓋もありませんが、少しずつ縮まっていく関係性がいいですね。




【2019春】 深夜アニメED5選

2019-05-16 OP・ED選


◆ 川柳少女 ED 『ORDINARY LOVE』

コンテ・演出:神保昌登 作画監督:橋本真希
作詞:Satomi 作曲:青木康平 編曲:田中隼人 歌:逢田梨香子



曲に合わせたMV風ED。ココロコネクトED1(通称ヒトランダムED、コンテ・演出は長井龍雪)と似た演出方法。
太陽が落ちるにしたがって日差しが徐々にのぼっていくところ、5人いるキャラが1人ずつ消えていくところなど。
神保さんはココロコネクトで2話分演出として関わっているので、何かしらの影響を受けていたのかもしれません。
川柳少女のEDでは5人の女の子が1人ずつ消えたあと最後にエイジだけが登場し太陽のマークで締めくくられます。
つまりエイジが太陽のような存在であり「あなたとなら輝き出す」存在であることが示されている秀逸なEDです。


◆ 叛逆性ミリオンアーサー 第2シーズン ED 『PEARLY×PARTY』

コンテ・演出:藤木かほる 作画監督:小野田将人、廣田茜
作詞・作曲:ORESAMA 編曲:小島英也 
歌:パーリィ☆フェアリィ[ナックラヴィ、ティターニア、クーピー、ブリギッテ、ボダッハ、ベトール]



咲-Saki-第1期ED1「熱烈歓迎わんだーらんど」を筆頭にもはや伝統となったランティスのデフォルメキャラED。
カジノに招待された団長アーサー(変態)や他のアーサーが妖精たちと共にゲームを楽しむパリピ感の強いED。
団長が真面目な顔でゲームをしてる姿から想像すると、一発当てて豪遊しようという下心が見え見えなのが良い。


◆ ひとりぼっちの○○生活 ED 『ね、いっしょにかえろ。』

コンテ・演出・原画:山本ゆうすけ 作画監督:苺ブリュレ
作詞:安藤紗々 作曲・編曲:西坂恭平 歌:一里ぼっち



名前がひらがなですが、たぶんコンテ・演出・原画はヤマノススメ監督でお馴染みの山本裕介さんだと思われます。
上下段で別の展開を見せる描き方はフリップフラッパーズEDと似ていますが、原作のコマも動きがすごく細かい。
本庄アルが左に体を回転させ落ちてコケそうになるところ、ソトカ・ラキターの頭にいくつも手裏剣が刺さるところ。
少しずつ一時停止して見てほしいですね。思い出と共に今があると感じさせてくれる卒業アルバム的なぼっち讃歌。


◆ 世話やきキツネの仙狐さん ED 『もっふもっふ DE よいのじゃよ』

コンテ・演出:上坪亮樹 作画監督:市原圭子、久保茉莉子 総作画監督:大島美和
作詞・作曲・編曲:篠崎あやと 歌:仙狐



中野が家にいないとき仙狐さんは家事・買い物以外に何をして過ごしているのか、そのひとときを描いた浄化ED。
家庭的な部分とねごとを言いながら左手をにぎにぎして子供らしい部分の両方を味わえる映像。もちろん曲も良い。


◆ さらざんまい ED 『スタンドバイミー』

コンテ・演出・撮影:田島太雄 コンポジター:山口将 作画監督:石川佳代子
作詞・作曲:北澤ゆうほ 編曲:the peggies、シライシ紗トリ 歌:the peggies



コンポジターをググってみるとCGや実写素材などを組み合わせてひとつの映像を作る職業を言うみたいですね。
雨が降り止んだあとの景色が作品とよく合っているし、光の反射の描き方もすごくキレイで背景と一体化してる。


★ OP記事はこちら → 【2019春】 深夜アニメOP5選




【2019春】 深夜アニメOP5選

2019-05-16 OP・ED選


◆ ひとりぼっちの○○生活 OP 『ひとりぼっちのモノローグ』

コンテ:安齋剛文 演出:矢吹勉 作画監督:中村佑美子、齋藤温子 総作画監督:田中紀衣
作詞:安藤紗々 作曲:田之上護 編曲:松田彬人 歌:一里ぼっち、砂尾なこ、本庄アル、ソトカ・ラキター



本庄アルが歌ってるときの砂尾なこの興味無さそうな目、残念だなーと言って夫婦漫才が始まりそうな雰囲気。
寝ている一里ぼっちに「モノローグじゃなくて届けましょ!」と3人が語りかける場面が何度見てもグッと来る。
最後ぼっちが虹の滑り台から飛んで後方2回宙返りしてからキレイに着地し踏ん張るところの表情がとても好き。


◆ 鬼滅の刃 OP 『紅蓮華』

コンテ・演出:外崎春雄 作画監督:松島晃
作詞・歌:LiSA 作曲:草野華余子 編曲:江口亮



今のところ禰󠄀豆子以外は眼中にない。鬼に成りたての禰󠄀豆子、兄炭治郎と一緒に戦うときの禰󠄀豆子。表情の違い。
鬼成分が強いと顔にスジがいっぱいできるのだが、OPでは人間味の強い表情をしてるところが印象的。鬼カワイイ。


◆ 世話やきキツネの仙狐さん OP 『今宵mofumofu!!』

コンテ・演出:直谷たかし 作画監督:久保茉莉子、小倉寛之 総作画監督:大島美和
作詞・作曲・編曲:Agasa.K 歌:仙狐、シロ



中野のモフリティ推しには辟易してるが、仙狐さんとシロがモフモフ言うだけでカワイイ。はやくウチにも来てほしい。
高円寺が本物の主人公だと思い込むことで視聴意欲を保持しているが、高円寺におかえりなのじゃ!は必要ないのじゃ。


◆ ぼくたちは勉強ができない OP 『セイシュンゼミナール』

コンテ:松竹徳幸 演出:佐久間貴史、吉成鋼 作画監督:佐々木政勝
作詞:こだまさおり 作曲:山田高弘 編曲:齋藤真也 歌:Study[古橋文乃、緒方理珠、武元うるか]



登校前の準備をしている自分、家を出た自分、成幸と一緒にいる自分、勉強をしている自分、他の2人といる自分。
女の子は状況に応じて違う自分を持っていて、その状況に応じた表情や仕草を見せる。勉強になるOP映像ですね。


◆ 盾の勇者の成り上がり 後期OP 『FAITH』

コンテ・演出:和田慎平 作画監督:諏訪真弘、そらもとかん、世良コータ、﨑口さおり
作詞・作曲・歌:MADKID 編曲:MADKID、北浦正尚



落ち込む盾の勇者に涙する尚文に拾われる前のラフタリア、理不尽な支配に落胆する姿が短いカットの中で描かれる。
前半の12話を1分30秒で振り返ることができ、なおかつ今後の展開も予測させる勇者より優秀なOP。これが総合芸術。


★ ED記事はこちら → 【2019春】 深夜アニメED5選




【TVアニメ】 愛が重い百合5選

2019-05-02 話数単位


◆ たまこまーけっと 第2話 『恋の花咲くバレンタイン』


脚本:吉田玲子 コンテ:山田尚子 演出:三好一郎 作画監督:西屋太志



バレンタイン回。幼なじみである常盤みどりが主人公の北白川たまこを恋愛対象として好きだと自覚するお話。
商店街でみどりのおじいちゃんが「Everybody Loves Somebody」と言ったあとみどりが「みんな誰かを愛してる」
と言って後ろを振り向く。垂れ幕には「この気持ち 届けたい」と書かれてあるんですが『この気持ち』の部分だけが
みどりの視界に入るように描かれている。友人のたまこのことが好き、それでいいんだと気付く印象的なシーンです。
あくまでも友人として好きという気持ちを維持しながら相手にはっきり伝わるような言動は避ける。奥ゆかしいですね。

あと、みどりの部屋に青い鳥の描写が。青い鳥を探すが、結局は自分に最も手近な鳥籠の中にあったという童話の物語。
「リズと青い鳥」では鳥籠の中から出て自由に羽ばたく。ここでは好きの気持ちが常に自分の中にあったという比喩表現。
「たまこラブストーリー」でも重たい愛を抱えているように見えましたが、それを踏まえてこの話数を見ると感慨深い。



◆ STAR DRIVER 輝きのタクト 第15話 『封印の巫女』


脚本:榎戸洋司 コンテ:YUKIHIRO 演出:浅井義之 作画監督:武本大介



日死の巫女ヨウ・ミズノの担当回。第16話と合わせて2話構成になっていますが、結末を知ってから見ると面白い。
通常の百合とは違い過度のストレスから巫女の能力で作られた双子の姉とは名ばかりのミズノの分身ヨウ・マリノ。
マリノの「消えない幻は現実」というセリフが示す通り姉が自分の分身だと知った後も依存し最後は2人で島を出る。
姉妹百合としては斬新な愛のカタチであり、恋愛としてはもっとも理想的なケース。究極の百合と言っていいかも。

ミズノがバスの上からタクト・スガタ・ワコの3人を眺めるシーン。なぜバスの上に乗っているのかよくわからない。
でもワコが折り畳み傘を取り出して広げたときに傘で隠れる(タクトに恋してた)ミズノの「蚊帳の外感」が秀逸。
封印が解けて姉妹2人で新しい人生を歩む姿が描かれているが、御坂美琴が御坂妹と駆け落ち?と思うと心が痛い。



◆ のんのんびより りぴーと 第8話 『給食当番をした』


脚本:吉田玲子 コンテ:二瓶勇一 演出:あべたつや 
作画監督:橋本純一、しまだひであき、横山沙弓、吉田巧介 総作画監督:井本由紀



工作・給食当番・ぬいぐるみの3話構成。小学5年生の一条蛍は中学2年生の越谷小鞠がちっちゃ可愛くて大好き。
小鞠がベッドの下から大事にしてたぬいぐるみの「小吉さん」を見つけ蛍の家に行き慣れない裁縫で修復するお話。
蛍の部屋に自分のぬいぐるみが大量に置かれていることに驚かないどころか他の子も作ればいいと提案する小鞠。
かなりの天然ボケか聖母マリア並のママみでなければ難しいほどの言動。蛍もアレだが小鞠は総受けタイプの百合。

ウザメイドの鴨居つばめや わたてんの松本など主張の激しい変態キャラもいるが、小学5年のむっつり系はヤバイ。
ほのぼの日常系の中ではトップクラスのクオリティなのに蛍と小鞠だけを抜粋すると子供たちよりも親が可哀想。
自覚がないうちはいいが将来が心配。それほど重度、ヘイ重度。それでもこの話数は良い話なのでぜひ見てほしい。



◆ やがて君になる 第7話 『秘密のたくさん/種火』


脚本:花田十輝 コンテ:日下部智津子 演出:境隼人 
作画監督:中野友貴、日下部智津子  総作画監督:日下部智津子



1992年に『もう恋なんてしない』と歌ったのは槇原敬之ですが、本当に好きで居たいなら恋に落ちない程度がいい。
佐伯沙弥香も同じで、一人の友人としてライバルとして一定の距離感を保つことで七海燈子を好きで居続けられる。
この話数はとにかくコンテが素晴らしくて、沙弥香と燈子の距離感、植木やランプシェードを使った断絶・乖離描写。
セリフやモノローグを裏付ける描写が多く、ED前の児玉都が言った『本当の気持ちを飲み込むのは大変なことだよ』
サービスで出されたコーヒーが沙弥香自身であるかのような演出があり、言葉に答えるようにコーヒーを飲み干す。

まだまだ良い部分はありますが、女の良さを教えてもらった先輩からフラれ、誰からも距離を置こうとする燈子に憧れ
自分の気持ちを必死に抑えようと努力しているのに結果的には後輩に燈子を奪われてしまうという哀れな佐伯沙弥香。
好きになればなるほど報われない彼女がとても愛おしく、いつか幸せになってほしいと応援したくなる。がんばれ!



◆ プリンセス・プリンシパル 第10話 『case22 Comfort Comrade』


脚本:大河内一楼 コンテ:内藤明吾 演出:黒部万太郎、鈴木拓磨 
作画監督:坂井翔太、松尾亜希子、新井博慧、鶴窪久子、飯田剛士、小堺能夫、金丸綾子



第10話はラスト2話を前にスパイとしての厳しさを改めて描くことでこの作品の土台をしっかり見せる役割も果たせた。
アンジェ、ドロシーとスパイ養成所「ファーム」の同期だった通称委員長が2重スパイだとバレて自決するまでの物語。
「彼女は私がなりたくてなれなかった私なんです」、やがて君になるに例えて言うと「やがて君になるはずだった私」
スパイとして努力してもアンジェには勝てない、ドロシーみたいに普通の女の子を演じることもできない、不器用な子。
真面目すぎることを自覚していながらもどこかで逃げたい気持ちがあった。でも逃げたときのカバンにはクスリだけ。

アンジェを敵に回したら逃げられないという覚悟がすでにあって、最後ドロシーと会って無理だと確信したんでしょうね。
あなたになりたかったと言って死んでもドロシーなら受け止めてくれる、とてつもなく重い愛ですよね。最後まで不器用。
普通の女の子として生きることを許されなかった、弱さを見せたら死ぬしかなかった状況で愛を伝える重厚な百合でした。




アウトライターズ・スタジオ・インタビュー 第161回 「Hiroshi_Yasudaさん」

2019-05-01 インタビュー


アニメの感想をブログやツイッターで表現されている方々に質問して答えてもらう
『アウトライターズ・スタジオ・インタビュー』
第161回は Hiroshi_Yasudaさん @shostakovich です。


アニメを好きになったきっかけを教えてください。

子どもの頃からアニメは観ていましたが、中学になって部活(うちの地域では必ず入らなければならなかった)や塾通いで夕方家にいないようになり、アニメを観られなくなると同時に(深夜アニメもなく録画機も一般家庭にはなかった時代)、「アニメ冬の時代」に突入してアニメの話題も身近に無くなって、十年以上アニメを観ない状態が続きました。
やがて社会人になり、水曜日に家にいるシフトになった時、たまたま合わせたチャンネルで『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)を観て、「たった十年経っただけで今のアニメってこんな凄いことになってるのか!」と驚かされました。「アニメーションが哲学の領域に踏み込んだ」というタイトルの論考を書いた覚えがあります(<哲学>は当時の私の中で最高位の思想分野)。これも十年ぶりにアニメ誌を買っていろいろチェックしたら、『ガンダムW』とか『神秘の世界エルハザード』とか、それまでにはなかったような面白いアニメがいくつかあって、しばらくこの分野と付き合ってみることにしました。

その後、エヴァについては世間への影響力を身をもって体験したことや、『ウテナ』や『lain』など、皆さんもご存知のアニメ史に残る名作がコンスタントに制作され、「面白い、面白い」と見続けているうち、「好きになった」というよりも、「もっと面白いもの」を求めてさまよっている感じですね。日本のドラマにも映画にも(もっと言えば音楽にも)もはや期待するものは何もなくて、量と質の点に於いて映像メディアの分野ではアニメにしか可能性は残っていない、というのがこの20年間の実感です。映画にしろ、マンガにしろ、上の世代がとっくに文化にしてしまっているものですけれど、アニメは「自分たちが歴史に参加している」という「現在進行形」の熱気を身近に感じられるとこが良いと思っています。


好きなアニメ作品を教えてください。

「アニメは全部好きだ!」と言えないまでも、数的には「好きじゃないアニメ」を挙げる方が圧倒的に少ないのですが、それではあまりにも不親切なので、手元に残している作品の中から、なるべく他の人と被らないように、いくつかピックアップしてみますね(TVシリーズ、OVA、劇場版混交なので年代順に)。
『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)
『超時空要塞マクロス』(1982年)
『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984年)
*以上の3作品は「特別枠」扱いです。
『バビル2世』(1973年)
『新造人間キャシャーン』(1973年)
『冒険コロボックル』(1973年)
『星のチョビン』(1974年)
『てんとう虫の歌』(1974年)
『ガンバの冒険』(1975年)
『ポールのミラクル大作戦』(1976年)
『ろぼっ子ビートン』(1976年)
『未来少年コナン』(1978年)
『太陽の牙ダグラム』(1981年)
『スペースコブラ』(1982年)
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年、劇場版)
『ブラックマジックM(マリオ)-66』(1987年、OVA)
『機動警察パトレイバー』(1988年、90年、OVA)
『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年、劇場版)
『トップをねらえ!』(1988年、OVA)
『こどものおもちゃ』(1996年)
『少女革命ウテナ』(1997年)
『ヨコハマ買い出し紀行』(1998年、OVA)
『serial experiments lain』(1998年)
『へっぽこ実験アニメーション エクセル・サーガ』(1999年)
『STRANGE DAWN ストレンジ・ドーン』(2000年)
『機動天使エンジェリックレイヤー』(2001年)
『フルーツバスケット』(2001年)
『ラーゼフォン』(2002年)
『ちょびっツ』(2002年)

他、約250作品。

今期では、『この音とまれ!』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』『世話やきキツネの仙狐さん』『超可動ガール1/6』『ノブナガ先生の幼な妻』『ひとりぼっちの○○生活』『フルーツバスケット』『ぼくたちは勉強ができない』『RobiHachi』『八月のシンデレラナイン』『消滅都市』といったところ。


好きな作品の中から1つ選んで、好きな理由を教えてください。

はい、『エヴァ』ですね。
「初見の衝撃」も、エヴァからなかなか抜け出せない理由の一つでもあります。初めての快感に勝るものは二度と訪れませんが、新しい期になって新番組が始まるたび、エヴァを最初に見た時と同じ快感を求めて同じ状況を何度も再現しているようなもんですね。
ですが、まず、エヴァで触れておかなくてはならないのは、日本中を巻き込んだ空前の社会的なメガ・ブームになったところです。
それまで「冬の時代」だったのが、一気に「真夏」に変わった。作品自体の素晴らしさに加え、そういう現象も全て含めて「エヴァ」だと思うのですが、一つのアニメ作品がこれだけの広がりをもって社会に受け入れられたという事実に、アニメーションというメディアの可能性や希望みたいなものを強く感じました。

この後、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』『君の名は。』『この世界の片隅に』でも似たような現象が起こる歴史的文脈の中で、そのそもそもの始まりである「エヴァ」が「まだ終わっていないんだよな」と考えると、感無量です。さて、次の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は初めての快感を越えてくれるでしょうか?


主に作品のどういう部分に注目しますか?

私のtwitterフォロワーの方には「え?」と思われるかもしれませんが、まずはシナリオです。もっと突っ込んで言えばシリーズ構成ですか。「物語(シリーズ)」というものは、本来、大テーマがあって、個々のエピソード(小テーマ)の積み重ねによって、その大テーマへ収束的に展開していきながら表現されていいくものです。その積み重ねのバランスを統括するシリーズ構成と、その流れの下にある各話シナリオがしっかりしていて、作品の世界観を巧みに構築していかなければ、物語(シリーズ)全体の論理展開がちぐはぐなものになっていくでしょう。エピソードの一本一本みて「あの話だけは面白かった」ではなく、一話や二話面白くなかったり見ていなかったとしても「シリーズ通してその作品が面白い」といえるのが本当でしょうね。

人間の「脳」というのは、あらゆるものから「パターン」を見出そうとする。だから、「物語」は、脳が認識可能な意味のパターンであり、物語によって世界を理解し、理解したことを物語によって共有するのですが、物語がなくても物語を認識しようとする。だから絵の視覚パターンが物語の内容に則していると最強なのです。

しかし、シナリオは途中で変えられることもあって、最終映像からシナリオを逆算することは出来ません。それは、シナリオの中で言っている事ややっている事は、頭の中で考えられたものである以上、ひとつの映像に展開してゆくときに、文字では表せない部分や、ライターの持っていたイメージそのままではアニメで表現不可能な部分というのがどうしても出て来ます。「フィルム」というのは映像が主体ですから、それによって新しい展開が生まれたら、引き受けていくべきだからです。だから、途中で変わったかもしれないシナリオの、物語構造の論理的構成を意識した上で、更に私が注目するのは、そういった物語のベース的な部分の自然な流れに、演出的な映像表現がどう貢献し、物語内容を映像作品としてどう具象化しようとしているのか、ということです。

物語の流れや構造(シナリオ)と「演出」は、それぞれ別個に存在しているのではありません。次の質問の答えとも関連しますが、ただ単に「観念(気分)」だけでシナリオに基づいて映像を撮り、カットやシーンを繋げても、「動く絵」のダイナミズムを伝える事は出来ない。ここに、「何故、日本の映画やドラマがダメになり、アニメが成長し続けているか」の答えがあると思っているのですが、映像作品を構成するのはある種の論理性であり、心情論ではなく構造論で物語を見せていくものなのです。

アニメは新しい世界を覗くことが出来るものです。ですが、その世界観を支えるだけの世界像を持たないアニメは、魅力的なものにはならないでしょう。
私が「演出」というアニメを表現するための方法論に拘るのは、何故日本の映画やドラマはダメなのに、アニメは素晴らしいと感じるのか。それが、その方法論に担保されているのではないか? という仮説に基づいていることを証明するためなのではないか、と思っています。


あなたにとってアニメとは?

ものすごくプリミティヴなことを言っちゃうと、映像作品(フィルム)って何かというと、「動く絵(写真)」なんですよね。だから、漠然と「映像作品」を考えたとき、基本的には実写とかアニメとかという区別はない訳です。押井守監督がそうですね。しかし、手塚治虫や宮崎駿、または大友克洋が映像作品を作ろうとしたとき、なぜ最後までアニメに拘ったのかというと、彼らは根っからの漫画家だったからですね。彼は漫画家だから、「動く絵(写真)」を創ろうとしたとき、どうしても「絵」が動いている所を見たかった。そう考えると、大友克洋が実写映画を監督したというのも、納得のいく話で。

一方、私は自分では絵は描けないし、漫画やアニメの作画そのものには、興味ないんですよ。
それよりも、アニミズム、つまり動く画(絵)の持つダイナミズムと、それに合う実写とは違うストーリーテリングとか、ドラマ展開に興味がある。

上の質問の答えと被る部分もあるかもしれませんが、アニメと実写のドラマや映画とは、表現の方法論に若干の違いがあるのではないでしょうか。特に日本の映画やドラマは、心情論で作ってるようなところがあります。しかしはじめに心情があった時、アニメはいくら観ても悲しくもなんともない。アニメの世界観を見せる為の見せ方は心情ではなく、構造で見せていくという所があります。アニメで「動き」の凄さを見せるには、どういう精神的なモチベーションがあって、どういう世界観のモチベーションがあってその動きが出たのか。その物語世界を描くべきバックがかっちり出来上がっていない限り、動きの凄さは伝わってこない。その良い例は『未来少年コナン』のあの「走り」(これを知らないなら、『カリオストロの城』のルパンのあの跳躍も同じです)。別にあの走りそのものが良いのではなくて。あの世界が、走ることに不自然さを感じさせる世界なら、いくら一生懸命走っても意味がない。そういう物語の世界の構造が見えるから、コナンの走りの凄さが伝わってくる。そういう世界観の構造がない限り、末梢的な部分であの走りが良かったからと、走る部分だけを真似してもダメなのです。

ですから、アニメは絵だから何でもできる、CGにすればもっと何でも簡単に出来る、と考えるのは間違いで、「動き」そのもののセンスオブワンダーはすでになく、世界を作るというセンスオブワンダーの上にしか、それは存在しえないものだと思います。心情論で「こういう話は良い」とか「こういう人間の絡みが素晴らしいから」だけでは、良いアニメにはならないどころか、本来は実写に於いても厳しい。しかし、日本のドラマや映画の制作者の多くが「動く絵っていいな」という感性に留まっていて、多くの作品がそういう心情論だけで作られているので、個人的には全く面白く観られないのです。

だから、逆に、「動く絵っていいな」という感性に留まっていたら、アニメの面白さというものを本当に感じることは出来ない。しかし、上で言ったようなことを踏まえてアニメを観たら、「動く絵」の素晴らしさを教えてくれるのが、アニメなのではないか?という結論に達する事が出来るのではないでしょうか。


考察(ツイート)を書こうと思ったきっかけを教えてください。

上の質問「アニメを好きになったきっかけ」のエヴァのところでも書きましたが、どうやら私には、何か感動したり凄いと思った時は、そのことを文章にして分析する性質が元々あるようです。ですから、私にって考察やツイートを書くのはしごく自然な行為なのです。しかも、ジョージ・マロリーの「なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ」ではないですが、「そういう事を行う為のツール」が目の前にあるのですから、この質問への直接的な答えは「そこにtwitterがあるからだ」になります。


考察(ツイート)を通して何を伝えようとしてますか?またどう伝えようとしてますか?

上の質問の答えを踏まえていえば、考察(ツイート)そのものを通して他人に何かを伝えようという意識は何もないですね。誰の為でもなく、ただただ自分の性質・本能に従っているだけというか。もちろん、SNSというパブリックな場所で公表する以上、他人が読んでその内容を分かり易いように書くことには拘っていますが、私の考察やツイートを読んだ方々が、その方なりに何かを感じてくれればいいかな、と。そういう個人的・内向的なものに「いいね」やフォロワーさんが付いてくれるのは、ありがたいことです。

音楽の三要素が「メロディー・ハーモニー・リズム」であるように、アニメは「シナリオ(シリーズ構成)・演出・作画」が重要な要素です。シナリオ(物語)については、エヴァの時に多くの批評家が行なったジェンダー論やポルトコロニアル論などの社会思想や社会学と絡めた作品のテーマ論やテーマ分析はそれが画面に表れていない以上、無意味とまでは言わないまでも、あらすじを書く以上の事は出来そうではありませんし、作画は実際に絵をかかない私には語りようがない。

そういう訳で、私は「演出」に注目していますが、最終的には、私以上に才能と技術のある人が「演出語り」をしてくれることを望んでいます。


あなたにとって考察(ツイート)とは?

1980年前後の「アニメ語りが熱かった時代」の復刻を目指しています。昨今の「アニメ語り」をめぐる言説の中に、当時と似た時代の息吹を感じます。今の時代にこそ、当時の「アニメ語り」の方法論は相応しいのではないかと。

民生用録画機が一般に浸透しておらず、アニメ放送が全国で同時に見られなかった時代、本編カットをふんだんに使い、それに対しキャプションで説明するアニメ雑誌の誌上フィルム上映は、放送を見た人はリマインドになり、放送を見られなかった人はそれが初見になります。重要なのは、どちらにしても、その作品についての他者の感想・見方・評価の代表が、その「誌上フィルム上映」になるという点。

「愛・おぼ」の戦闘シーンが2コマ撮りなのを知ったのは『アニメック』の特集記事でしたが、単にストーリーを追うだけでなく、そのシーン(ショット)がどういう技術で作られているのかについても言及するのが『アニメック』でした。

特に1980年前後の『アニメック』を読むと、自分もその時代の一員だったということもありますが、「ガンダム・ブーム」からアニメ・ブームが盛り上がり、マクロスの「愛・おぼ」(1984年)を境に一気に盛り下がっていった状況が手に取るように分かります。

令和元年の現在、SNSを通してアニメ・ブーム真っ盛りだった1980年代前半と同じような息吹を感じます。ツイートを通して、私はあの時の熱気を追体験しているのかもしれませんね。


好きなキャラ・制作会社・スタッフを3つ(3人)ずつお願いします。

■キャラ
ミリア・ファリーナ
真希波・マリ・イラストリアス
中野梓

キャラクターとは、その作品の「物語り」を構成する各要素を具象化した存在だと思います。上に挙げた3人は、それぞれの作品に於いて「物語の多層的な語り・視点」を可能にする存在です。そういうキャラクターがいなくても成立する作品ありますが、私はそういうキャラクターがストーリーの中で上手く立ち回る作品が好きなのです。そういう立場のキャラクターは無数にいますが、好きな作品との絡みでミリアとマリを選びました。

そういった特性を備えたキャラクターの中でも、中野梓は、飛び抜けて優れたキャラです。twitterの私の以前からのフォロワーさんならご存知だと思いますが、『けいおん!』が放送されていた当初、私は徹底的に批判していました。それがある時期から擁護派に回ったので、「あれ?以前は『けいおん』批判していませんでしたっけ?」と何度もリプライが来ましたが、この作品は前半と後半では全くの別物です。
『けいおん!』の見方が批判から擁護に180度転換した切っ掛けが、中野梓でした。中野梓についてここでは詳しく書けませんが、作品自体の評価が、たった一人新キャラが投入されただけでこんなにも変わるのかと。

■制作会社
動画工房
SILVER LINK.
Studio五組

今はこの三社。新進のスタジオにも注目すべき制作会社がいくつかありますので、数年後はその会社に変わるかもしれません。

■スタッフ
大沼心(監督)
上坪亮樹(演出)
山本寛(演出)

他にも挙げなくてはならない監督・演出家は数多いですが、「制作会社」からも「その他」は想像できると思うので。
ただ、大沼さん(SILVER LINK.)、上坪さんは『ef - a tales of memories.』からのファンです。以前開設していたブログでかなり詳細に語ったことがあるのですが、ある雑誌に載った『ef』の大沼監督のインタビューに、「ブロガーの人たちは作品をなかなか良く見ているけれど『まだ狙ったところを拾えていない』」とあって、私のアニメ語りのスタンスを根本的に路線変更して今に至るという経緯があり、密かに「心の師」と呼んでいます。
山本さんは、演出家として掛け値なしの「天才」だと思います。作曲家でいえばワーグナー。そういう人に社会人としてのバランスを求めてはいけない。「この企画に必要なのは優れた演出家ですか、命令したことに素直に従ういい人ですか」。


影響を受けたブロガーと読んで影響を受けた記事を教えてください。

当時のサイト周回リストを当たってみたのですが、何分昔のことなので殆どが更新停止でtwitterもやっていないか、閉鎖されていたので「存命中のブログの中から」という制約付ですが、negirinさんの『ダ・ニッキ』の「アニメのスタッフクレジットを読む(オープニング編)」 (エンディング編もあります)などの「スタッフクレジット」系の記事には影響を受けたというか、「こういうエントリーもありなんだ」と大いに触発されました。

あと、@tukinoha2さんの『tukinohaの絶対ブログ領域』のアニメ系の記事も、作画がどうこうではない「アニメ表現論」がブログでも成立することが分かり、このブログとの出会いが、現在、私がtwitterで展開しているキャプ画像を使った演出解析に繋がっています。アニメ記事一覧はこちら http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/00010105、その中でも「『縦の構図』と「垣間見」の精神」 はひな形の一つになっているかなあ、という感じです。


BD・DVD以外に購入するものは?(イベント参加可)

サントラ(CD、配信)、絵コンテ、シナリオ集、設定集・資料集、公式ガイドブック、『アニメスタイル』など月刊誌以外のアニメ誌・ムックは出来る限り購入しています。アニメーションのメイキングマガジン『アニメーションノート』は、基本的にはCGソフトの宣伝誌でしたが、取材が手厚く、具体的な制作方法について極めて参考になったので復刊希望。


あなたが考察を書いていくためのモチベーションは、どこから湧いてきますか?またモチベーションを維持する方法など
 
本来の意味での「モチベーション」とは異なると思いますが、とにかく「あれもやりたいな」「これもしたいな」という、未だ現実化されていない企画が十年以上も前のものからいくつもあります。この歳で、新しいものへの興味が次々に現れて来る中、圧倒的な量の「やりたいもの」の前で、即物的に時間が圧倒的に足りない。
敢えて言えば、その「切迫感」が私の「モチベーション」なのかもしれません。


宣伝・アピール欄

とくにありませんが、敢えて言えば「私のなんちゃって演出解析よりも、もっとちゃんとしたアニメ演出語りが出来る人募集」ってところでしょうか。
また、twitterで「各話全カット演出解析」に入った時のタイムライン汚し申し訳ありません。この場をお借りして謝罪いたします。


・ インタビューにご協力頂きありがとうございました



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