物理的領域の因果的閉包性


2019年版どろろの結末について

2019-06-26 2019



2019年版どろろはハッピーエンドだったのか、そもそもどういう物語だったのか、簡単に説明できればと思います。
時代設定は室町時代の中頃とのことですが、史実と照らし合わせると説明がややこしくなるのでここでは省きます。
ご存知の通りこの物語は醍醐の領主:醍醐景光が「天下に名を轟かせたい」と望み鬼神と契約するところから始まる。
醍醐領は鬼神に守られ、その代償として百鬼丸が犠牲になり、寿海に拾われ、鬼神と戦い、身体を取り戻すお話。

ではなぜ生みの母である縫の方、育ての母とも言える寿海、次男である多宝丸が死ななければならなかったのか?
この3人は鬼神との契約によって間接的に犠牲になった哀れな人たちなんですよね。百鬼丸を救えなかった悲しみ、
争いで人を殺めてきたことによる罪悪感、生まれながらにして本来あるべき愛情を受けられずに育った景光の次男。
それぞれの人物に焦点をあてると死ななければならないほど悪い事はしていないし、やれることはやってきた人たち。
でもいくら努力しても贖えないほど契約の代償は大きかった。人として生きる事を許してもらえなかったんですよね。
だから多宝丸を受け入れる形で共に人間であることを再認識して死を選択する必要があった。端的に言えば贖罪です。




人として生きる事を許してもらえなかった一番の犠牲者は百鬼丸。身体を取り戻し、どろろがいたから改心できた。
最後まで抗う景光に「人として生きろ」と言うのも今までの罪を償って人間に戻れという意味。すべては原点回帰。
人としての尊厳を失いかけながらも人として死んだミオの意思を受け継ごうと決意して罪を償う旅に出る百鬼丸。
父:火袋の遺産を受け継いで新たな一歩を踏み出そうと決意するどろろ。これから人としての生き方をやり直す。

個々のキャラクターに焦点を合わせると決してハッピーエンドとは言い切れない部分がありつつも前向きに生きる。
人であることをどれだけ自覚して罪を背負いながら前向きに生きられるか、そういう物語だったと自分は思います。




ひとりぼっちの○○生活 第10話 『はじめて言われたこと』

2019-06-08 2019


脚本:花田十輝 コンテ:池下博紀 演出:宇和島歩 
作画監督: 鈴木幸恵、重松しんいち、大木比呂、二上由佳子 総作画監督:小田武士、齋藤温子



第10話は弟子と友達の関係に悩むソトカ・ラキターが一里ぼっち師匠に「友達になってください」と告白する回。
友達になれば忍術を教えてくれる師匠を裏切ることになるし、弟子のままでは他の友達に先を越されてしまう。
「ソトカさん」と呼ばれるのは納得いかない、でも友達になりたいからといって無神経に押し付けたりはしない。
自分の感情に素直な反面、周りの人を気遣える良い子。それだけ師匠を見て学んできたということでしょうね。




「師匠のこと全部ソトカに伝わりましたよ。だから、免許皆伝して友達になりに来たんです。」
ソトカにとっての忍者は日本に来るきっかけであり心の拠り所。忍者にこだわることで寂しさを紛らわせていた。
それだけ大きな意味のある忍者よりも師匠のことが大好き。師匠に学んだ方法で気持ちを伝えるソトカが可愛い。

ぼっち師匠の「はじめて友達になってくださいって言われたー」、日本に来てはじめてぼっちから言われた言葉。
ソトカにとって友達というのは忍者よりも大切でぼっちが誰よりも大切な存在になった。積み重ねを感じますね。
もちろん砂尾なこや本庄アルがいるからぼっちに伝える決心ができたわけだし、悩みを聞いてくれる存在も大事。
誰かを思いやることでちょっとずつ優しさを分け合ってる感じがとても良い。私はぼっちよりソトカが好きです。




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