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『魔法少女まどか☆マギカ』 まどかについての考察

2011-05-11 2011



『魔法少女まどか☆マギカ』 の主人公である 「鹿目まどか」 とはどういう人物なのか?


昔、1980年ごろ生まれた高校生を指して 『五無主義』 と言われた時代があった。
『五無主義』 とは、無気力・無責任・無関心・無感動・無作法の主義を持つ生徒の総称で、日教組が名付けたらしい。
私も高校時代、担任から説明された記憶がある。やる気・活気に乏しく主張を拒み消極的な態度が目立つのだそうだ。
それが後のニートやひきこもりという社会現象につながったかどうかは不明だが、無作法を除く四無主義と言われた時代に生まれているのが本作のシリーズ構成・脚本を務めた 「虚淵玄」 である。

では、本作の主人公である 「鹿目まどか」 はどうなのか?
現実世界の現状に満足しているが無気力でも無責任でも無関心でも無感動でも無作法でもない。むしろまったくの真逆と言っていいくらいだ。
私はこれを 『無主義』 だと捉えている。 『無主義』 とは、特定の主義主張を持っていないこと。
なんだ五が抜けただけで何ら変わりないじゃないかー、と思うだろう。でも 「鹿目まどか」 の場合の 『無主義』 は意味合いが異なる。

『五無主義』 の場合は明らかに自覚症状があった上での 「無」 であり、「鹿目まどか」 の場合の 『無主義』 は初めの段階ではほとんど自覚症状がない。
なぜ現状に満足していて、なぜ願いが必要ないのか理解出来ていない。しかし回を追うにつれ、友人の死や苦悩を目の当たりにする中で少しずつ自覚していく。
そして最期はすべてを自覚した、つまりはすべての 「無」 を受け入れた上で自らの肉体をも 「無」 にした。すべての無が真実という存在を生み出した。
英語で言うならば 「all nothingness = real」 この場合のリアルは真実という意味と哲学的に実在・実存するという意味で捉えてほしい。

在る状態から五つの無しか選択しなかった 『五無主義』 と、主義主張を極限まで削ぎ落とした結果の 『無主義』。さて 「虚淵玄」 は 「鹿目まどか」 を通して何を伝えたかったのか?
行き着くところまで行ってしまえば戻るしかない、堕ちるところまで堕ちてしまえば昇るしかない。完全な無などありはしない。なんだかそう言ってるようにも思える。

震災ですべて失った被災者がそうであるように、命を失っても忘れない生存者がいて、家も家族も失った生存者は今も必死に生きている。
当事者でない私が言うとキレイ事だが、「鹿目まどか」 は生きながらにして死んだ人や苦しむ人を救おうとしたのだ。神様でも教祖様でもない普通の少女が。
結果変わらず死ぬ運命の人は死に戦う人は戦い続けるのだが、絶望に打ちひしがれて死ぬのではなくどこか達成感のある死、絶望しか待ち受けていない戦いではなく希望に向けての戦い。そして無意識の中の 「鹿目まどか」 の存在。

何も出来ないからといって諦めるんじゃなくて、何も出来ないからこそ今ある存在を誰かにわかってもらいたい。そう思っている人は私も含め多いんじゃないだろうか。結果的に慰め程度でもわかってもらえる人がいるっていうのは心強いですよね。

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テーマ: 魔法少女まどか★マギカ
ジャンル: アニメ・コミック



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