物理的領域の因果的閉包性


偽物語 総括

2012-03-20 2012


たぶん一番のポイントは、最終話で影縫余弦が阿良々木暦のことを人間と呼んでしまったことだと思う。
影縫は暦に他人に理想を押し付けているだけの偽善と言ったが、吸血鬼と知りながら人間と呼ぶ行為も偽善である。

不本意であったとしても、本心とは違う言葉が出てしまった事実だけを切り取れば、それは偽善であり偽物だと言える。
だから暦を認めざるを得なかったし、シラケてしまった。つまり自爆である。貝木泥舟の言葉を借りれば詐欺だったのだ。
しかもその偽物の言葉で暦が救われた。相手と戦う前に勝負はついていた。貝木の前にひたぎが現れたときと同じ状態。

貝木の前に火憐が登場したときも、暦が月火と火憐に正義の味方ごっこと言ったときも、すでに勝負は決まっていた。
ひたぎが暦を拘束したときもそう、無駄だとわかっていることにあえて立ち向かおうとする行為。それもまさしく偽善である。
忍野メメがひたぎの怪異を退けたことも偽善であり、もし結果が悪かったとしたらただの詐欺師。善行は結果論でしかない。
怪異の場合も同じことが言える。怪異を祓う者が一番怪異の近くにいて、怪異を誰よりも信頼している。貝木で言う金と同じ。

つまり人間という存在を本物とするなら、怪異という偽物、偽善という行為や言葉の嘘なしでは善行は成立しないことになる。
暦が描く理想、ひたぎが寄せる信頼、忍野メメ・貝木・影縫たちがやっていること、そしてファイヤーシスターズの正義も全部。
この世に生きるというということは偽善を積み重ね背負うこと。人が成長するということは悪行を続けていくことなんだろうか?
いやそれはキュゥべえの立場だから言えること。人間の立場なら善か悪かを判断するまでもなく、ただ生きるだけなんだろう。

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テーマ: 偽物語
ジャンル: アニメ・コミック



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