物理的領域の因果的閉包性


有頂天家族は、オードリー・ヘプバーン泥棒。

2013-08-13 2013


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供養 【くよう】 とはサンスクリット語の プージャナー 【pūjanā】 の訳で、死者の冥福を祈って追善を営むこと。
また仏教と関係なく死者への対応という意味で生き物でない道具等に対しても使われる。追善は死者を弔う儀式のこと。

淀川教授の食に対する考え方は供養と似ている。バラモン教では供犠 【くぎ】 といって何らかの報酬を求めたり、
感謝の意を表すために神々に犠牲を捧げる ヤジュニャ 【yajña】 という言葉があるが、供養と意味は異なるらしい。
つまり見返りを求めて生け贄にさせるのではなく、死者に尊敬の念を持って食物になってもらうということなのだろう。
好きだから食べてあげたい、好きなタヌキに食べてもらいたい。という感情は 「いただく」 という謙譲語につながる。
某美食屋そのままだが、あれに出てくる 「食義」 とは感謝と敬意を片時も忘れずに常に心の中心に据えておくことである。

弁天や矢三郎、淀川教授や総一郎などの生き様を見てると、同じP.A.WORKSの 『花咲くいろは』 を思い出す。
劇場版はまだ見てないが、夫が死別しているところや親子の生き様を描いてるところなど、共通点は多い気がする。
女将の芯の強さは淀川教授の哲学にも通ずるし、弁天の強さに隠れた弱さは皐月に、矢三郎の自由奔放さは緒花に似てる。
設定は違えど家族・絆・舞台背景など、大筋の部分では似通っている。でもなぜか有頂天家族のほうが感情移入しやすい。
それはもちろん自分が男であるという理由もあるが、メインキャラがタヌキと天狗というのが大きな要因なのかもしれない。

ジブリ作品を例にしてみても、獣や動物、豚やタヌキなどなど、人のような人でないものが多く登場している。
マスコットキャラクター的というよりも、人外だからこそ人間という性質が透かし見えるんじゃないかと思っている。
視聴者の器という意味での人形や物、それが作品の象徴と成り得るマスコットと呼ぶべきものなのかもしれない。
マスコットは幸運をもたらすという意味だが、元々は魔女や魔術を表す言葉らしい、念を込めるような意味合いを感じる。

もちろん巧みなセリフ回しや魅力的な映像やキャラクターデザイン、音楽などがあってこその有頂天家族だが、
様々なキャラの考え方や方向性を指針にしながら作品を見ていくと、自分の方向性まで示してくれそうな勢いがある。
この作品から学べるところがあればどんどん吸収したいし、そう思わせてくれる作品に感謝しながら視聴していきたい。


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テーマ: 有頂天家族
ジャンル: アニメ・コミック



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