物理的領域の因果的閉包性


紅殻のパンドラ 第5話 感想 『クラスタリング』

2016-02-06 2016


タクミに「試したいことがある」と言ってクラりんと共に公園に行き、パンドーラ・デバイスを使って大道芸を披露する福音。
「ひとのちからを自分のためにつかうのはずるい」と言う福音に「世界平和は福音ひとりで成し遂げることができるのか?」
と問うクラりん。身体も含めて全部他人からのもらい物。そう思っているとき、車いすに乗った老婆アンナが声をかけてきた。


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脚本:森田繁 コンテ・演出:ところともかず 作画監督:吉崎雅博、島田英明 総作画監督:谷拓也
 

自分にできることがあればやってみたい、でもそれができるということは、すべて家族やクラりんや他人のおかげ。
しかし大道芸をやりたいと思い、公園で披露し、アンナたちを喜ばせたのは福音本人であることに間違いはない。
どのようにして全身義体になり、世界平和を望むようになったのか、そんなことは関係なくアンナは喜んでくれた。
善意でやったことに対して善意で受け取ってくれたなら、それはまぎれもなく善行であり奉仕だと思うんですよね。
もし2人組の泥棒のように悪いことを考えているのなら、芸を披露しても金をせびるだろうし、そもそも大道芸はしない。

アンナは部分義体の仲間だと勘違いしていましたが、病院で言った「良かったわね」というセリフ。これがとてもいい。
全身義体になれる環境にいて「良かったわね」という皮肉ではなく、全身義体になれたのがあなたで「良かった」、
良い行いをする人が良い人たちに恵まれていて本当に良かったという安心感から出てきた言葉だと思っています。
福音のやったちっぽけな行動がアンナとの出会いを生み、存在を認めてもらい、さらに周りにいる人たちも認められた。

原作では出会ってアメをもらったあとにアンナが倒れるという風に描かれていますが、アニメは泥棒騒ぎのあとに倒れる。
アメをもらった福音の両手がアンナの手と同じように描かれていたりと、原作とは違う視点や演出がプラスされています。
世界平和はひとりでは成し遂げられないし、自分という存在はひとりでは成り立たない。誰かの善意が人を動かして、
動かされた人もまた人を動かす。奉仕活動なんて偽善だと思う気持ちはありますが、受け取る側が幸せならそれでいい。
アニメ感想もそう、読んで良いと思えば広げたいし自分も書きたい、そんな同種の集合体(クラスタ)が必要なんでしょうね。


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