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アニメ話数単位マイベストエピソード10選

2016-08-30 ベストエピソード


元記事:アニメ話数単位マイベストエピソード10選 - ゲームばっかりやってきました @SpANK888


・『serial experiments lain』 LAYER:13「EGO」


最終話の「画面の向こうから、こちらに話しかける玲音」こそ、私が「虚構をどう受け止めるか」という姿勢に決定的な影響を与えたのは間違いない。
虚構と現実が等価に繋がったその瞬間に、大袈裟かもしれないけど生きる希望みたいなものをこの一話から受け取った。


・『聖戦士ダンバイン』 第45話「ビヨンド・ザ・トッド」


トッド・ギネスのハイパー化(=死亡)回
良好ではない(とはいえ富野作品ではマシな方)のショウ・ザマと母親との関係と対比されるように、マザコン的とも言えるトッドの母親を想う姿。私が本作のライバルをバーン・バニングス(黒騎士)ではなくトッドであると考えるのは、その部分が大きいです。
そして自称「(アメリカ)東部の落ちこぼれ」であるトッドにとって、自分の力で武勲を挙げてのし上がれるかもしれない可能性は、死の間際の「いい夢を見させてもらったぜ……」というセリフに集約されており、その抑圧された彼の人生を思わせるものでもある。


・『機動戦士Vガンダム』 第50話「憎しみが呼ぶ対決」
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「勝った者をあたしが全身全霊をかけて愛してあげるよ。うふっふふっ、あははははは、ふふふ、あははははは……!」
戦争を終わらせるためには、戦わなければならない。しかし戦いは人を狂気に導く。
だからもっとも争いを止めさせようとする者こそ、最前線で戦い狂っていく。
目の前の戦争に対して、それを止めたいと願い、それゆえに戦うことを選んでしまったカテジナは、真摯だからこそ狂うことしかできなかった。それでも意志を保ったまま強く戦い続けた彼女は、私の憧れです。


・『ジュエルペットサンシャイン』 第46話「禁断の恋でイェイッ!」


自ら恋の終わりを選んだ花音さま。
しかしその背中を昇りはじめた朝日が照らし、これから先の道を煌々と光り輝かせている。
めちゃくちゃ強烈なギャグ作品であった『JPS』が、ここで正に「太陽の光(サンシャイン)」を重要な要素として出してくる展開に震えた。


・『ガッチャマンクラウズ』 #11「Gamification」


前述した『lain』では、世間に普及しはじめたばかりのインターネットは「無限の可能性を秘めたもの」でありながら「世界の外からやってきた不気味な物」として描かれていた。それから約20年、『ガチャクラ』ではインターネットが「誰もが使う気安いもの」でありながら「制御できない可能性を含んだ厄介なもの」として描かれている。
その20年間にあった私たちの認識の変化は、不完全だし不十分だけれども、それでも確かに「世界をアップデート」したと思えた。
そしてまだ残されたGamificationという「新しい世界へのアップデート」という希望は、『lain』で世界から切り離すことしかできなかった少女を、ようやく迎え入れることができるようになった「20年後の私たち」として非常に喜ばしいものだった。
(詳しくは『あのすぱらしい愛をもう一度:すぱんくtheはにーアーカイブ2012~2013年』収録「もう私たちは玲音を失わない――『ガッチャマン/クラウズ』から『ガッチャマン-クラウズ』へ」に書きましたのでそちらをよろしくおねがいします)


・『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』 第27話「新チームでシャル ウィ ダンス?」


アイドルアニメのライブ/ダンスシーンの表現において、『プリリズDMF』の「発光するグローブ」は一つの到達点です。手の軌道を光のラインとして残す演出は、ダンスの華やかさを描きながら同時に「踊ってみたい」と思った女児へ向けての「振り付けのガイド」としての役目も果たす、すばらしい発想だ(その手の軌道を光らせる、というのが『プリパラ』ではなく『アイカツスターズ』で一部使われるようになったのも面白い変化、『プリパラ』はその代わりに「サイリウムチェンジ」によって「光ることの意味」にもう一歩踏み込んだ)。
特に照明がオフの状態から始まる「Mirage JET」の振り付けは、その「発光するグローブ」の良さが完璧に描かれていた。
(詳しくは「『プリティーリズムディアマイフューチャー』チームシャッフル編のダンス考察」『あのすぱらしい愛はもう二度と……: すぱんくtheはにー2014年アーカイブス』収録「溢れよ我が光、とあなたは言った――駆け寄り投げ掛けるプリズムの輝き、あるいはそのキラキランウェイ☆」に書きましたのでそちらもよろしくおねがいします)


・『ハートキャッチプリキュア』 第3話「2人目のプリキュアはやる気まんまんです!」


もうね、来海えりかの変身時に見せた「ニッ」って顔に全部やられた。全部やられてしまった。


・『ハピネスチャージプリキュア』 第49話「愛は永遠に輝く!みんな幸せハピネス!」


プリキュアが(あるいは古今東西のありとあらゆるヒーローヒロインが)直面する限界、「自分たちの知り得ない不幸を救えない」という問題を突破するたった一つの方法。それが白雪ひめ/キュアプリンセスの見せた「愛の結晶を"適当"に投げる」という行為なのだ。
目的を目標を持って投げるのでは無く、適当に闇雲に投げるからこそ「自分の知らない誰か」を救う可能性を生むことができる、そんな「たった一つの冴えないやり方」だけが正義の限界を突破することができるのである。
(詳しくは『アニバタ Vol.12 [特集]プリキュア』「プロバビリティ・ラブリーズ――プリキュア/リローデッド」に……って何回目だよこれ)


・『ヤダモン』 第169話「タイモン…!」


魔女の女王の娘であり最後の魔女であるヤダモン。滅びに向かう魔女を救うため、魔女を闇へと進化させようとするキラ。
一度封印された後に、ヤダモンと同じ姿で復活したキラを前にして「マリアの作ったドーナツと、私が魔法で出したマリアのドーナツ。どっちが本物?」と、ずっと一緒に過ごしてきたジャンに尋ねるヤダモン。
滅ぶことを諦めていた女王に対して、生き延びようとしたキラは決して否定はされず、それでもヤダモンの見せた「新しい未来」に希望を見い出す魔女たち。
他人の姿を借りてしまったキラの願いは「本物ではなくなってしまった」からこそ、失敗してしまった。例え正しい目的であっても、手段を間違えばそれは不幸しか生まないことを、そして手段を間違えないためには「真実であり続けること」が重要だと説く。
それは誰一人信じなくても「わたし魔女だもん!」と言い続けたヤダモンの姿として、第1話から途切れることなく続いているものだ、ということを第1話とこの第169話にだけ行われる「ジャンと空を飛ぶ」で改めて思い起こさせる構成も素晴らしい。
(ちなみに第168話の戦闘シーンはめっちゃくちゃかっこいいので、そっちも良い)


・『ハイスクール!奇面組』 第31話「クラス対抗 ピチピチチャップン水泳大会」


水上ワープに、作者登場、そして筋肉大移動!と『ハイスクール!奇面組』の魅力が詰まった1話。筋肉大移動は原作もいいけど、アニメの画面で一層映える技だよね……ギャグアニメは大事、こういうとき語られ難いからこそ、大事。



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