物理的領域の因果的閉包性


アニメ視聴や文章表現における成長の基準

2017-09-01 その他


アニメは非常に情報量が多い媒体です。OP・EDだけ見てもいろんなものが詰まってると感じます。
ツイッターも無作為にいろんな情報が流れてくるので、そういう部分ではアニメと似たところがあります。
他人のツイートや記事を読むと「ああいう風に文章が書けたらいいな」「自分に無いものがいっぱいある」
そう思うことばかりで、参考になることはいっぱいあっても、実際に咀嚼して身に付くことはほとんどない。

何をもって成長とするのか?これはすごく難しい問題です。未だによくわかりません。
たくさんアニメを見れば、回数見れば、たくさん人の意見を聞けば成長することにつながるのか?
確かに多くの作品を見るにつれて「こういう傾向にある」とか「こういう見方をしたほうが楽しめる」
というのはなんとなくわかるようになってきます。でもそれが成長につながってるかというとそうでもない。

思い返してみると、純粋にアニメが好きだという感情だけで作品と向き合ってるときのほうが楽しめてる。
あの人みたいになりたいと思って真似したり、自分なりに工夫して文章を考えてるときのほうが楽しめてる。
つまりは限られた時間の中でどれだけ情熱を込めて作品と向き合ったり、他人と向き合えるのか?
その違いなんだと思います。「成長した」という結果ではなく「成長したい」と思う意志の強さみたいなもの。
一瞬ではなくある程度の期間持続して思い続けることによって、ある種の達成感みたいなものが得られる。

ひとつの作品を深く掘り下げていくことも大事だし、なるだけ多くの作品を摂取しようと思うことも大事。
自分の場合は多くの作品にふれる中で何かのきっかけをなんとなく掴めたらいいな、と思っているだけです。
文章表現するときも同じで、自分なりの表現で誰かが何かのきっかけをなんとなく掴んでもらえればいい。
自分の中でも絶対に正しいと思えるような方法や手段は無いし、何が他人の心に届くかなんて知る由もない。
こんなにも自分は努力した。そう思った時点で成長は止まっているから、向上心は忘れないようにしたい。


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