物理的領域の因果的閉包性


アウトライターズ・スタジオ・インタビュー 第161回 「Hiroshi_Yasudaさん」

2019-05-01 インタビュー


アニメの感想をブログやツイッターで表現されている方々に質問して答えてもらう
『アウトライターズ・スタジオ・インタビュー』
第161回は Hiroshi_Yasudaさん @shostakovich です。


アニメを好きになったきっかけを教えてください。

子どもの頃からアニメは観ていましたが、中学になって部活(うちの地域では必ず入らなければならなかった)や塾通いで夕方家にいないようになり、アニメを観られなくなると同時に(深夜アニメもなく録画機も一般家庭にはなかった時代)、「アニメ冬の時代」に突入してアニメの話題も身近に無くなって、十年以上アニメを観ない状態が続きました。
やがて社会人になり、水曜日に家にいるシフトになった時、たまたま合わせたチャンネルで『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)を観て、「たった十年経っただけで今のアニメってこんな凄いことになってるのか!」と驚かされました。「アニメーションが哲学の領域に踏み込んだ」というタイトルの論考を書いた覚えがあります(<哲学>は当時の私の中で最高位の思想分野)。これも十年ぶりにアニメ誌を買っていろいろチェックしたら、『ガンダムW』とか『神秘の世界エルハザード』とか、それまでにはなかったような面白いアニメがいくつかあって、しばらくこの分野と付き合ってみることにしました。

その後、エヴァについては世間への影響力を身をもって体験したことや、『ウテナ』や『lain』など、皆さんもご存知のアニメ史に残る名作がコンスタントに制作され、「面白い、面白い」と見続けているうち、「好きになった」というよりも、「もっと面白いもの」を求めてさまよっている感じですね。日本のドラマにも映画にも(もっと言えば音楽にも)もはや期待するものは何もなくて、量と質の点に於いて映像メディアの分野ではアニメにしか可能性は残っていない、というのがこの20年間の実感です。映画にしろ、マンガにしろ、上の世代がとっくに文化にしてしまっているものですけれど、アニメは「自分たちが歴史に参加している」という「現在進行形」の熱気を身近に感じられるとこが良いと思っています。


好きなアニメ作品を教えてください。

「アニメは全部好きだ!」と言えないまでも、数的には「好きじゃないアニメ」を挙げる方が圧倒的に少ないのですが、それではあまりにも不親切なので、手元に残している作品の中から、なるべく他の人と被らないように、いくつかピックアップしてみますね(TVシリーズ、OVA、劇場版混交なので年代順に)。
『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)
『超時空要塞マクロス』(1982年)
『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984年)
*以上の3作品は「特別枠」扱いです。
『バビル2世』(1973年)
『新造人間キャシャーン』(1973年)
『冒険コロボックル』(1973年)
『星のチョビン』(1974年)
『てんとう虫の歌』(1974年)
『ガンバの冒険』(1975年)
『ポールのミラクル大作戦』(1976年)
『ろぼっ子ビートン』(1976年)
『未来少年コナン』(1978年)
『太陽の牙ダグラム』(1981年)
『スペースコブラ』(1982年)
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年、劇場版)
『ブラックマジックM(マリオ)-66』(1987年、OVA)
『機動警察パトレイバー』(1988年、90年、OVA)
『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年、劇場版)
『トップをねらえ!』(1988年、OVA)
『こどものおもちゃ』(1996年)
『少女革命ウテナ』(1997年)
『ヨコハマ買い出し紀行』(1998年、OVA)
『serial experiments lain』(1998年)
『へっぽこ実験アニメーション エクセル・サーガ』(1999年)
『STRANGE DAWN ストレンジ・ドーン』(2000年)
『機動天使エンジェリックレイヤー』(2001年)
『フルーツバスケット』(2001年)
『ラーゼフォン』(2002年)
『ちょびっツ』(2002年)

他、約250作品。

今期では、『この音とまれ!』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』『世話やきキツネの仙狐さん』『超可動ガール1/6』『ノブナガ先生の幼な妻』『ひとりぼっちの○○生活』『フルーツバスケット』『ぼくたちは勉強ができない』『RobiHachi』『八月のシンデレラナイン』『消滅都市』といったところ。


好きな作品の中から1つ選んで、好きな理由を教えてください。

はい、『エヴァ』ですね。
「初見の衝撃」も、エヴァからなかなか抜け出せない理由の一つでもあります。初めての快感に勝るものは二度と訪れませんが、新しい期になって新番組が始まるたび、エヴァを最初に見た時と同じ快感を求めて同じ状況を何度も再現しているようなもんですね。
ですが、まず、エヴァで触れておかなくてはならないのは、日本中を巻き込んだ空前の社会的なメガ・ブームになったところです。
それまで「冬の時代」だったのが、一気に「真夏」に変わった。作品自体の素晴らしさに加え、そういう現象も全て含めて「エヴァ」だと思うのですが、一つのアニメ作品がこれだけの広がりをもって社会に受け入れられたという事実に、アニメーションというメディアの可能性や希望みたいなものを強く感じました。

この後、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』『君の名は。』『この世界の片隅に』でも似たような現象が起こる歴史的文脈の中で、そのそもそもの始まりである「エヴァ」が「まだ終わっていないんだよな」と考えると、感無量です。さて、次の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は初めての快感を越えてくれるでしょうか?


主に作品のどういう部分に注目しますか?

私のtwitterフォロワーの方には「え?」と思われるかもしれませんが、まずはシナリオです。もっと突っ込んで言えばシリーズ構成ですか。「物語(シリーズ)」というものは、本来、大テーマがあって、個々のエピソード(小テーマ)の積み重ねによって、その大テーマへ収束的に展開していきながら表現されていいくものです。その積み重ねのバランスを統括するシリーズ構成と、その流れの下にある各話シナリオがしっかりしていて、作品の世界観を巧みに構築していかなければ、物語(シリーズ)全体の論理展開がちぐはぐなものになっていくでしょう。エピソードの一本一本みて「あの話だけは面白かった」ではなく、一話や二話面白くなかったり見ていなかったとしても「シリーズ通してその作品が面白い」といえるのが本当でしょうね。

人間の「脳」というのは、あらゆるものから「パターン」を見出そうとする。だから、「物語」は、脳が認識可能な意味のパターンであり、物語によって世界を理解し、理解したことを物語によって共有するのですが、物語がなくても物語を認識しようとする。だから絵の視覚パターンが物語の内容に則していると最強なのです。

しかし、シナリオは途中で変えられることもあって、最終映像からシナリオを逆算することは出来ません。それは、シナリオの中で言っている事ややっている事は、頭の中で考えられたものである以上、ひとつの映像に展開してゆくときに、文字では表せない部分や、ライターの持っていたイメージそのままではアニメで表現不可能な部分というのがどうしても出て来ます。「フィルム」というのは映像が主体ですから、それによって新しい展開が生まれたら、引き受けていくべきだからです。だから、途中で変わったかもしれないシナリオの、物語構造の論理的構成を意識した上で、更に私が注目するのは、そういった物語のベース的な部分の自然な流れに、演出的な映像表現がどう貢献し、物語内容を映像作品としてどう具象化しようとしているのか、ということです。

物語の流れや構造(シナリオ)と「演出」は、それぞれ別個に存在しているのではありません。次の質問の答えとも関連しますが、ただ単に「観念(気分)」だけでシナリオに基づいて映像を撮り、カットやシーンを繋げても、「動く絵」のダイナミズムを伝える事は出来ない。ここに、「何故、日本の映画やドラマがダメになり、アニメが成長し続けているか」の答えがあると思っているのですが、映像作品を構成するのはある種の論理性であり、心情論ではなく構造論で物語を見せていくものなのです。

アニメは新しい世界を覗くことが出来るものです。ですが、その世界観を支えるだけの世界像を持たないアニメは、魅力的なものにはならないでしょう。
私が「演出」というアニメを表現するための方法論に拘るのは、何故日本の映画やドラマはダメなのに、アニメは素晴らしいと感じるのか。それが、その方法論に担保されているのではないか? という仮説に基づいていることを証明するためなのではないか、と思っています。


あなたにとってアニメとは?

ものすごくプリミティヴなことを言っちゃうと、映像作品(フィルム)って何かというと、「動く絵(写真)」なんですよね。だから、漠然と「映像作品」を考えたとき、基本的には実写とかアニメとかという区別はない訳です。押井守監督がそうですね。しかし、手塚治虫や宮崎駿、または大友克洋が映像作品を作ろうとしたとき、なぜ最後までアニメに拘ったのかというと、彼らは根っからの漫画家だったからですね。彼は漫画家だから、「動く絵(写真)」を創ろうとしたとき、どうしても「絵」が動いている所を見たかった。そう考えると、大友克洋が実写映画を監督したというのも、納得のいく話で。

一方、私は自分では絵は描けないし、漫画やアニメの作画そのものには、興味ないんですよ。
それよりも、アニミズム、つまり動く画(絵)の持つダイナミズムと、それに合う実写とは違うストーリーテリングとか、ドラマ展開に興味がある。

上の質問の答えと被る部分もあるかもしれませんが、アニメと実写のドラマや映画とは、表現の方法論に若干の違いがあるのではないでしょうか。特に日本の映画やドラマは、心情論で作ってるようなところがあります。しかしはじめに心情があった時、アニメはいくら観ても悲しくもなんともない。アニメの世界観を見せる為の見せ方は心情ではなく、構造で見せていくという所があります。アニメで「動き」の凄さを見せるには、どういう精神的なモチベーションがあって、どういう世界観のモチベーションがあってその動きが出たのか。その物語世界を描くべきバックがかっちり出来上がっていない限り、動きの凄さは伝わってこない。その良い例は『未来少年コナン』のあの「走り」(これを知らないなら、『カリオストロの城』のルパンのあの跳躍も同じです)。別にあの走りそのものが良いのではなくて。あの世界が、走ることに不自然さを感じさせる世界なら、いくら一生懸命走っても意味がない。そういう物語の世界の構造が見えるから、コナンの走りの凄さが伝わってくる。そういう世界観の構造がない限り、末梢的な部分であの走りが良かったからと、走る部分だけを真似してもダメなのです。

ですから、アニメは絵だから何でもできる、CGにすればもっと何でも簡単に出来る、と考えるのは間違いで、「動き」そのもののセンスオブワンダーはすでになく、世界を作るというセンスオブワンダーの上にしか、それは存在しえないものだと思います。心情論で「こういう話は良い」とか「こういう人間の絡みが素晴らしいから」だけでは、良いアニメにはならないどころか、本来は実写に於いても厳しい。しかし、日本のドラマや映画の制作者の多くが「動く絵っていいな」という感性に留まっていて、多くの作品がそういう心情論だけで作られているので、個人的には全く面白く観られないのです。

だから、逆に、「動く絵っていいな」という感性に留まっていたら、アニメの面白さというものを本当に感じることは出来ない。しかし、上で言ったようなことを踏まえてアニメを観たら、「動く絵」の素晴らしさを教えてくれるのが、アニメなのではないか?という結論に達する事が出来るのではないでしょうか。


考察(ツイート)を書こうと思ったきっかけを教えてください。

上の質問「アニメを好きになったきっかけ」のエヴァのところでも書きましたが、どうやら私には、何か感動したり凄いと思った時は、そのことを文章にして分析する性質が元々あるようです。ですから、私にって考察やツイートを書くのはしごく自然な行為なのです。しかも、ジョージ・マロリーの「なぜ山に登るのか。そこに山があるからだ」ではないですが、「そういう事を行う為のツール」が目の前にあるのですから、この質問への直接的な答えは「そこにtwitterがあるからだ」になります。


考察(ツイート)を通して何を伝えようとしてますか?またどう伝えようとしてますか?

上の質問の答えを踏まえていえば、考察(ツイート)そのものを通して他人に何かを伝えようという意識は何もないですね。誰の為でもなく、ただただ自分の性質・本能に従っているだけというか。もちろん、SNSというパブリックな場所で公表する以上、他人が読んでその内容を分かり易いように書くことには拘っていますが、私の考察やツイートを読んだ方々が、その方なりに何かを感じてくれればいいかな、と。そういう個人的・内向的なものに「いいね」やフォロワーさんが付いてくれるのは、ありがたいことです。

音楽の三要素が「メロディー・ハーモニー・リズム」であるように、アニメは「シナリオ(シリーズ構成)・演出・作画」が重要な要素です。シナリオ(物語)については、エヴァの時に多くの批評家が行なったジェンダー論やポルトコロニアル論などの社会思想や社会学と絡めた作品のテーマ論やテーマ分析はそれが画面に表れていない以上、無意味とまでは言わないまでも、あらすじを書く以上の事は出来そうではありませんし、作画は実際に絵をかかない私には語りようがない。

そういう訳で、私は「演出」に注目していますが、最終的には、私以上に才能と技術のある人が「演出語り」をしてくれることを望んでいます。


あなたにとって考察(ツイート)とは?

1980年前後の「アニメ語りが熱かった時代」の復刻を目指しています。昨今の「アニメ語り」をめぐる言説の中に、当時と似た時代の息吹を感じます。今の時代にこそ、当時の「アニメ語り」の方法論は相応しいのではないかと。

民生用録画機が一般に浸透しておらず、アニメ放送が全国で同時に見られなかった時代、本編カットをふんだんに使い、それに対しキャプションで説明するアニメ雑誌の誌上フィルム上映は、放送を見た人はリマインドになり、放送を見られなかった人はそれが初見になります。重要なのは、どちらにしても、その作品についての他者の感想・見方・評価の代表が、その「誌上フィルム上映」になるという点。

「愛・おぼ」の戦闘シーンが2コマ撮りなのを知ったのは『アニメック』の特集記事でしたが、単にストーリーを追うだけでなく、そのシーン(ショット)がどういう技術で作られているのかについても言及するのが『アニメック』でした。

特に1980年前後の『アニメック』を読むと、自分もその時代の一員だったということもありますが、「ガンダム・ブーム」からアニメ・ブームが盛り上がり、マクロスの「愛・おぼ」(1984年)を境に一気に盛り下がっていった状況が手に取るように分かります。

令和元年の現在、SNSを通してアニメ・ブーム真っ盛りだった1980年代前半と同じような息吹を感じます。ツイートを通して、私はあの時の熱気を追体験しているのかもしれませんね。


好きなキャラ・制作会社・スタッフを3つ(3人)ずつお願いします。

■キャラ
ミリア・ファリーナ
真希波・マリ・イラストリアス
中野梓

キャラクターとは、その作品の「物語り」を構成する各要素を具象化した存在だと思います。上に挙げた3人は、それぞれの作品に於いて「物語の多層的な語り・視点」を可能にする存在です。そういうキャラクターがいなくても成立する作品ありますが、私はそういうキャラクターがストーリーの中で上手く立ち回る作品が好きなのです。そういう立場のキャラクターは無数にいますが、好きな作品との絡みでミリアとマリを選びました。

そういった特性を備えたキャラクターの中でも、中野梓は、飛び抜けて優れたキャラです。twitterの私の以前からのフォロワーさんならご存知だと思いますが、『けいおん!』が放送されていた当初、私は徹底的に批判していました。それがある時期から擁護派に回ったので、「あれ?以前は『けいおん』批判していませんでしたっけ?」と何度もリプライが来ましたが、この作品は前半と後半では全くの別物です。
『けいおん!』の見方が批判から擁護に180度転換した切っ掛けが、中野梓でした。中野梓についてここでは詳しく書けませんが、作品自体の評価が、たった一人新キャラが投入されただけでこんなにも変わるのかと。

■制作会社
動画工房
SILVER LINK.
Studio五組

今はこの三社。新進のスタジオにも注目すべき制作会社がいくつかありますので、数年後はその会社に変わるかもしれません。

■スタッフ
大沼心(監督)
上坪亮樹(演出)
山本寛(演出)

他にも挙げなくてはならない監督・演出家は数多いですが、「制作会社」からも「その他」は想像できると思うので。
ただ、大沼さん(SILVER LINK.)、上坪さんは『ef - a tales of memories.』からのファンです。以前開設していたブログでかなり詳細に語ったことがあるのですが、ある雑誌に載った『ef』の大沼監督のインタビューに、「ブロガーの人たちは作品をなかなか良く見ているけれど『まだ狙ったところを拾えていない』」とあって、私のアニメ語りのスタンスを根本的に路線変更して今に至るという経緯があり、密かに「心の師」と呼んでいます。
山本さんは、演出家として掛け値なしの「天才」だと思います。作曲家でいえばワーグナー。そういう人に社会人としてのバランスを求めてはいけない。「この企画に必要なのは優れた演出家ですか、命令したことに素直に従ういい人ですか」。


影響を受けたブロガーと読んで影響を受けた記事を教えてください。

当時のサイト周回リストを当たってみたのですが、何分昔のことなので殆どが更新停止でtwitterもやっていないか、閉鎖されていたので「存命中のブログの中から」という制約付ですが、negirinさんの『ダ・ニッキ』の「アニメのスタッフクレジットを読む(オープニング編)」 (エンディング編もあります)などの「スタッフクレジット」系の記事には影響を受けたというか、「こういうエントリーもありなんだ」と大いに触発されました。

あと、@tukinoha2さんの『tukinohaの絶対ブログ領域』のアニメ系の記事も、作画がどうこうではない「アニメ表現論」がブログでも成立することが分かり、このブログとの出会いが、現在、私がtwitterで展開しているキャプ画像を使った演出解析に繋がっています。アニメ記事一覧はこちら http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/00010105、その中でも「『縦の構図』と「垣間見」の精神」 はひな形の一つになっているかなあ、という感じです。


BD・DVD以外に購入するものは?(イベント参加可)

サントラ(CD、配信)、絵コンテ、シナリオ集、設定集・資料集、公式ガイドブック、『アニメスタイル』など月刊誌以外のアニメ誌・ムックは出来る限り購入しています。アニメーションのメイキングマガジン『アニメーションノート』は、基本的にはCGソフトの宣伝誌でしたが、取材が手厚く、具体的な制作方法について極めて参考になったので復刊希望。


あなたが考察を書いていくためのモチベーションは、どこから湧いてきますか?またモチベーションを維持する方法など
 
本来の意味での「モチベーション」とは異なると思いますが、とにかく「あれもやりたいな」「これもしたいな」という、未だ現実化されていない企画が十年以上も前のものからいくつもあります。この歳で、新しいものへの興味が次々に現れて来る中、圧倒的な量の「やりたいもの」の前で、即物的に時間が圧倒的に足りない。
敢えて言えば、その「切迫感」が私の「モチベーション」なのかもしれません。


宣伝・アピール欄

とくにありませんが、敢えて言えば「私のなんちゃって演出解析よりも、もっとちゃんとしたアニメ演出語りが出来る人募集」ってところでしょうか。
また、twitterで「各話全カット演出解析」に入った時のタイムライン汚し申し訳ありません。この場をお借りして謝罪いたします。


・ インタビューにご協力頂きありがとうございました

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