花咲くいろは 第10話 「焼きを入れる」
『焼きを入れる』
・ 刀の刃を焼き、水で冷やして堅く鍛える。
・ ゆるんだ気持ちを引き締めさせる。
体調が悪いときは身体だけでなく心も弱るもの。
刀を鋭く硬く鍛えるのに 『焼き』 が必要なように、頑張りすぎて頭も心も硬くなった花にも 『焼き』 が必要だったようですね。
民子が魚に焼きを入れるのに手こずっていた原因は集中力ですが、難しいのは火加減ですよね?
それと同じように花の気持ちも加減が難しかった、熱で気持ちが緩んだのは良い箸休めになったことでしょう。
気持ちを引き締めたい、切り替えたいと思ってもなかなか自分一人では無理な場合があります。そういうときは親や兄弟・姉妹、友達などが助けになってくれますよね?
花が喜翆荘で働くようになってから職場の雰囲気、お客様の反応が少しずつ変わってきたように、必ず誰かの助けがあっての存在価値。そこに存在した瞬間から意味はすでにある。
魚を焼くのも刀を鍛えるのも人の手、もちろん人の心を和ましたり励ましたり引き締めたりしてくれるのも人の手です。花は今回のことで人の手の暖かさを身にしみて感じたことでしょう。
今回の話はこの作品の特徴が良く出ていた回でした。それはどういうとこかというと、「誰も犠牲にはなりきらないし、不幸にもなりきらない。」 という点です。
次郎丸にしても巴にしても女将にしても、何か大きなハプニングがあったとしても必ず誰かがフォローしてくれるから結果的に報われているし、救われている。
これはキレイ事でも都合が良いからでもなく、作品全体の雰囲気とくに明るさの部分で大きな役割を果たしています。見ていて爽快感があるのはこのおかげです。
花が主人公だからすべての話に絡んで大活躍?確かに重要なキャラですが、もし花ではなく菜子や民子を主人公としていても話は成り立つような気がします。
今回の話もそうですが、女将が倒れたときでも助けになったのは花一人だけではありませんよね?誰かが別の誰かを気遣い合うことでみんなが報われ救われている。
人間関係の基礎は1話からずっと同じ、「助け合い」 です。人と人の繋がりを基本にしっかり描いてるからこそどんな出来事があっても丸く収まる。いわゆる大団円です。
誰かを殺さなければ引き立たない、誰かをどん底に引きずり降ろさないと幸せを描けないなんてことはないんですよね。それだけキャラの構成が絶妙だということだと思います。
あと菜子がテレビをつけた理由として、「目が覚めたとき寂しい思いをするから」 と言ってましたが、私はもうひとつの理由があるんじゃないかと思いました。
それは 「花が目を覚ましたときに、テレビをつけようとしてフラついて転ぶのを防ぐため。」 花は二段ベッドの上段です、降りるのにはハシゴが必要、転ぶかもしれない。
逆にテレビを消そうとする場合もあるかもしれませんが、菜子が言うように大抵は人の声がないと寂しくて退屈なものです。優しい気遣いだと思いました。
ふと誰かの優しさに気付けるのは風邪などで心が緩んでるときだったりします。そして優しくされた分頑張って働こうという気持ちになれるのも、また優しさなんですよね。
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